marupekeのブログ

ビンテージミニカーの紹介や機械式腕時計
コレクションなど

育毛剤効くのかな?

こんばんはもっちーです。
50代になるとどーでもいい事ってあります。


まして、髪の毛。


父も父方、母方の親類、祖父の50代の写真をみると薄い、薄いどこではない髪の毛が無い。


僕のブラシに絡まる、大量の髪の毛。ああもったいない、もったいない。


ここ数年、育毛剤のバナー広告が貼りつく。しっかりリサーチしているのかと思いきや、育毛剤の記事をクリックしていたのでしょうね。


鏡の中の僕の髪の毛、何となく、元気なく。


思い切って、テレビで宣伝している、医薬品を購入。


通販はいろいろと押し売りしてきそうだし、薬局で買えて効果がありそうなもの。
ワシのマークならどこでも買えそうだし、試しに1本。
ドラックストアでは、薬剤師さんが出勤の時しか、売ることが出来ないそうで。


今、2本目が少なくなったところです。


さて結果は、やや改善しているみたいです。


手遅れになる前にと思っていましたが、抜け毛も少なくなりつつ、『継続は力なり』でがんばってみます。


ミニカーの写真が取れていない為、すいません。


○○製薬のまわしものではありません。
あくまでも個人の感想です。





僕的ミニカーの魅力 ビンテージミニカーとの出会い

こんにちは。もっちーです。
皆さんは、ミニカーというものはどんなイメージですか。


たとえば、子供のころに親に買ってもらった。


子供さんに買ってあげた。


ただの玩具にすぎない、いろいろなイメージをお持ちになっているでしょう。


このブログを読んで下さる方、年代によってさまざまでしょうが、僕は幼少期は遊具、つまり玩具、小学校高学年のころからトミカのコレクションをしていました。


いま、プレミアが付いているもの持ってました、しかも箱に入れて。
しかし、引っ越ししたりするうちに高校生のころ、1970年後半、あまり大切にしていない為に、ほとんどの個体に裏板に白い錆びが出てしまい。はとんど消滅してしまいました。もったたいない、もったいない。


しかし、Nコロとダットサントラックは大人になって15,000円位で売れたので、当時180円だったトミカに、こんなにプレミアが付いたのかと驚いた次第です。私が集めていた当時から香港製トミカのセリックとギャランGTOはいつも販売ケースは空。その時期のトミカは凄いペースで新商品が出てきていたので、それを買うのに必死で空スペースを探す時間とお金が無かったころです。


自動車免許も取得し、青春時代はバブル時代。ソアラ大好き青年でした。
だから、模型やミニカーより実車。


白のハイソカー(今は死語ですね)にお金が飛んで行きました。


ふと立ち寄った、デパートのホビーコナーで1985年ごろ、ソリドを数台買いました。


まあまあ、良くできているし、ミニカーとしてのコレクショントイという雰囲気も持っており、また、はまりましたね。


西ドイツのシャバクは欲しいなと思う実車のモデルを集めて行きました。
アウディー100とかですね。
東西統一前の西ドイツには、ガマやNZGといったメーカーがありました。
建設機器車両を得意としているNZGはポルシェが良くできたモデルです。


ミニカーの絶版車を扱うお店はまれで、今みたいなネット通販もなく、専門店にも行かなくとも、新商品は東急ハンズあたりで販売しており、ちょこちょこ買い集めだしました。
まだまだ、ビテスやシャバクには味がありました。


ミニカーコレクションの大先輩、朝田隆也氏に出会ったのはそのころです。
鎌倉にミニボックスというお店にビンテージミニカーを扱っていると、カーグラフックの広告で、知りました。


早速、お電話してある程度の場所を聞いたうえ、訪ねてみると、そこは鎌倉らしい高級住宅街です。想像していたミニカーショップのお店らしき建物は一軒も見当たらず、近所の方に聞いても、わかりません。住所からして此処かなと思い、おそるおそるノックしてみると、コレクター誌やミニチュアカー誌の紙面に登場する朝田隆也氏の御自宅兼店舗、ミニボックスであったのでした。


僕が神奈川県に住んでいる時は、よくお邪魔したものです。
コレクションを始めたころのお話や大盛屋に訪問された時のお話。すぐに時間がたってしまいます。色々、教えていただき勉強になりました。
なんせ、ミニカーの僕にとってのバイブルは保育社のカラーブックス 世界のミニカー 中島登氏著作と月間ミニチュアカーしか、情報が無かったのです。


ミニボックスの朝田氏はコレクション兼販売という形でしょうか。こんなのどう?なんて言われても、当時の僕には数万円のミニカーは金銭的に無理でした。


新商品も扱っておられたので、コーギーやマッチポックス、ビテスといったものを買った覚えがあります。


ある日、朝田氏がこのメーカーの工場があっちに行っちゃったからね。味がなくなっちゃたみたいな事をつぶやいた時が…


ようするに、ブランドはドイツやイギリスでも生産国は中国に移ってしまったという意味でした。CDキャドでミニカーを作る為どれも個性が無いですね。なかにはブランドOEMもありますし。


素人的には値段据え置きで精密度もまして玩具的なミニカーから精密な一瞬モデルカーに見えるし、しかし、1960年当時のミニカーとはかなり違っていますからね。


1960年初期の日本製ミニカー
大盛屋のブルーバードとコロナ
実車はのちにBC戦争と言われたくるまです。
それでは、また。


便利な世の中についていける?


このところ、便利なものがあります。
自動車は益々進化していますね。
自動ブレーキや自動運転装置です。
各メーカー開発にしのぎをけずっております。


どうやら、エコの次に来るものはこれか。
トヨタがプリウスを発売した時、ハイブリットカーは凄いと感じましたが…
何となくいつからか、ハイブリットカーが当たり前になってしまいました。


次に、自動ブレーキ。これは新車に義務化するらしいですね。
ボルボの宣伝を見た時、凄い技術だとおもったのも、数年前のこと。


ドライバーが映画を観賞しながら、目的地に行くことが出来る、自動運転装置。
これも、怖いですが凄い。


私は昭和中期の生まれ、何でもがアナログの時代。
青春時代にワープロとかマイコンをへてパソコンへ。電脳なんても言っていたね。
気か付くと原始人的な爺(じじい)になっている自分。


さて、取り残されないようにしなきゃ。


ケータイ、ケータイというけれど携帯電話。
これも、はじめて使った時、これは便利、もっちー感激。
なんせ、電波が入るところでは、どこでも・だれとでもお話が出来る。


「もしもし」「はいはい」こんな便利なものはない。
月日が達、いつの日か皆、メールへ。
早打ち、マックならず、早打ち名人。


ガラケーの役割が終わるとスマホ。
普段電源が入っていないと真っ黒な板にしか見えませんが、便利に使うと自分の言葉にも反応して答えてくれるし、ニュースも新聞やテレビに頼らずリアルタイムに読める。


ただし、正しく使用しないとおっかない罠にはまる。


それと、真っ黒い板は時計表示を常にしていない。
商談・談笑の時など今何時なんて、相手に対して失敬極まりない。


そんなこんなで、私は腕時計を買った。


最初は電池式クォーツ、確かにみんな腕には腕時計していました。
止まらないで、正確な時を刻む。


しかし、機械式の腕時計、これも高価ではあるが日々、見直されている。



写真は国産腕時計、セイコーマーベル Sのマークは精工舎の印。スーパーマンではありません。
オーバーホールして、クロコダイルのベルトを付けてやりました。もちろん機械式、しかも手動巻。
昭和30年位の時計です。このマーベル17石は戦後のSEIKOの初期の初期です。


耳にそっと近づけると、チチチチチと懐かしい音がします。
それは幼い時、親父の時計の音と同じでした。


今日はとりとめのない話題ですいません。
最後まで読んで下さった方々に御礼申し上げます。


それでは、また。