marupekeのブログ

ビンテージミニカーの紹介や機械式腕時計
コレクションなど

この国どうなっているの

こんにちはもっちーです。今年に入ってから、世界情勢がおかしくなってきています。
海外、国内をとわず、トップクラスの不祥事がニュースの記事を飾ります。
日本国民が望んでいない法律が勝手に作られて、自由・平和が何となく崩れていくようです。
隣国には怖い指導者もおり、ミサイルの標的にされているのかもしれません。


ある日、街に出ると、反戦デモ行進に遭遇し、NO WARと書いた、プラカードが私の体に当たりました。しかし、その人は「すいません」の一言もありませんでした。
というよりか睨まれた感じでした。


こんな心もこもってない事ではデモの意味が無いし、心が無さ過ぎ!
こんな国になってしまったのですね。


私はノンポリですが、戦争をすることは望みません。
しかし、侵略されたら国民は犬死ですか。この国は。


少し怒りを書いてしまいましたが、平和な時代のミニカーのご紹介です。

ダイヤペット143番トヨペットクラウンデラックスです。
実車は1962年に2代目としモデルチェンジし当時のアメリカ車的なスタイル、マイナーチェンジを繰り返し1967年3代目にバトンタッチするまで生産されました。また、幅、全長を長くし8気筒エンジンを搭載したクラウン・エイトも1964年に発売されております。
オートマチック、エアコン、パワーステアリング、パワーウインドウ、パワーシートといった今の高級車では当たり前の装備が一部オプションでしたが、ありました。


この写真のミニカーは1966年型をモデル化しており、完全にダイヤペットのオリジナル金型を使用しています。


ダイヤペットにも1964年年型も121番で存在致しますか、こちらは大盛屋の金型を使用し発売しています。もちろん箱やタイヤ・裏板は米沢(ダイヤペット)すが。こちらはまだ手に入っておりません。大盛屋は1963年3月に発売しています。


このダイヤペット143番トヨペットクラウンデラックスは窓枠までメッキされて、クラウンエイトにも見えます。私の史観ですが。


それでは、また。


社長はつらいよ

昭和の映画でシリーズ化が多かった、山田洋二監督の男はつらいよ。
故、渥美清さんの映画は辛くなると見ることにしています。
劇中のたこ社長、いましたねー、こういう人。今では、労基法が強く、こんな事してたら監督署からお呼び出しが来るでしょうね。


しかし、当社のように零細企業になると、特に繁忙期に業績が振るわないと、何か手を打たなければなと心配になる今日この頃です。


さて、今日のミニカーの紹介を

アサヒ玩具モデルペットNO.12S トヨペット '61 クラウン デラックスです。


実車はトヨタ自動車が1955年に戦後初の純国産乗用車を販売しました。
トヨペットクラウンです。
観音開きのこの車をあますとこなく良く特徴をとらえています。


モデルペットはNO.1で1959年に国産ミニカー第一号で発売しています。


実車のマイナーチェンジに準じてNO.12Sは金型を'61年式にして、シート、ハンドルといった内装も取りつけています。


NO.12Sのほか12SPというパトカーも発売されました。


モデルペット赤箱は作りも良く、アサヒ玩具がヨーロッパのミニカーの良いところを参考にして、プロポーションも実写に忠実に作っております。
ちょうどアサヒ玩具が油が乗り切っている作りです。

50年ぐらい前に父からのプレゼント

今日もミニカーの紹介を

もっちーが小学校にあがるちょっと前のこと。
広島県のある町に住んでおりました。
当時はかなりの田舎だったと覚えがあります。


月に数回。広島のデパートに家族で出かけることが唯一の楽しみ。
瀬戸内海の海で遊んだ思い出も。


町内には文房具兼玩具を売っている店があり、まだトミカが発売される前は150円のマッチボックスが売っておりました。


小スケールのミニカーはマッチボックスしかありませんし、ダイヤペットやモデルペットの存在もしらなかったのです。


ある日、会社から父が帰宅して小さな箱をプレゼントしてくれました。
箱にダイヤペット スバル1000と記載があり、その時こんなミニカーがあるのかと思ったものです。嬉しくてうれしくて枕元に置いて寝た覚えがあります。


小さい時たったのでボンネットとトランクがオープンする楽しさで、数回でトランクが取れてしまったのでした。遊んでしまったので、そのミニカーはすでにもう手元にはありませんが、大人になってミニカーの収集を始めるといつかは欲しい1台になっておりました。


ダイヤペットのスバル1000は、なかなかお目にかかることなく、オークションなどで入札しても落札出来ず、ようやく都内の絶版ミニカーショプさんから入手することができました。


色さえ違いましたか、50年前の記憶がよみがえってきました。


ちなみにその時の父の愛車はスバル1000、2ドアでしたがレッドで当時としてはカッコイイクルマでした。


父はもう、この世をさり、時々懐かしい気持ちとこのスバル1000のことをおもいだします。私には大切なミニカーの一つです。