marupekeのブログ

ビンテージミニカーの紹介や機械式腕時計
コレクションなど

大盛屋 PHE26 トヨペットクラウン

4月に入り、桜ももうすぐ綺麗に咲く季節になりました。
今日はまだ肌寒く、ちょっと春の訪れを感じません。


すこし、ご無沙汰していましたが、今日はミニカーの話題で。


東京のビンテージミニカー専門店のオーナー様がお身体の不調ため、昨年の春からお店をお休みされておられましたが、2月から月に数回、土曜日、日曜日と不定期ですが、開けておられます。オーナー様か早期に全快されることをお祈りしております。


さて、ご紹介のミニカーは大盛屋チェリカフェニックスPHE26番トヨペットクラウンです。


実車はトヨタが1955年、純国産車のトヨペットクラウン(観音開き)を1962年10月1日、フルモデルチェンジ。2代目クラウンは長く、低く当時1960年代初期のアメリカ車の影響を受けたスタイルです。


大盛屋の製品も同車の特徴を上手くとらえ、1963年型トヨペットクラウンデラックスを発売しました。


フロントグリルも初期型の特徴をよくとらえて、複雑な造型も当時の金型職人さんが芸術品のように表現しています。


大盛屋のクラウンはこの初期型と1963年9月にグリルの大型化などの実車のマイナーチェンジ版も金型変更で同番で製品化しております。


このモデルは1stモデルの方です。


以前、米沢玩具ダイヤペット143番のトヨペットクラウン1966年型(写真左)紹介いたしましたが、金型が違います。新たにダイヤペットになってから作り直しております。

よって、大盛屋チェリカフェニックス時代のPEH26番後期のモデルはダイヤペットの121番で大盛屋の金型を使い製品化され、この143番はダイヤペットのオリジナルです。

リアスタイルもちゃんと変えています。
大盛屋はトランクオープンのアクションは無く、ダイヤペットはトランクオープンです。
丸テールランプはこの車に似合っていますね。


大盛屋チェリカフェニックスPEH26番2stモデルとダイヤペットの121番は持っていません。いつかは並べてみたいです。両方とも生産数が少ないのでレアです。

実車の特徴をよくとらえた、クラウン。とても素敵なモデルです。
それでは、また。







育毛剤効くのかな?

こんばんはもっちーです。
50代になるとどーでもいい事ってあります。


まして、髪の毛。


父も父方、母方の親類、祖父の50代の写真をみると薄い、薄いどこではない髪の毛が無い。


僕のブラシに絡まる、大量の髪の毛。ああもったいない、もったいない。


ここ数年、育毛剤のバナー広告が貼りつく。しっかりリサーチしているのかと思いきや、育毛剤の記事をクリックしていたのでしょうね。


鏡の中の僕の髪の毛、何となく、元気なく。


思い切って、テレビで宣伝している、医薬品を購入。


通販はいろいろと押し売りしてきそうだし、薬局で買えて効果がありそうなもの。
ワシのマークならどこでも買えそうだし、試しに1本。
ドラックストアでは、薬剤師さんが出勤の時しか、売ることが出来ないそうで。


今、2本目が少なくなったところです。


さて結果は、やや改善しているみたいです。


手遅れになる前にと思っていましたが、抜け毛も少なくなりつつ、『継続は力なり』でがんばってみます。


ミニカーの写真が取れていない為、すいません。


○○製薬のまわしものではありません。
あくまでも個人の感想です。





僕的ミニカーの魅力 ビンテージミニカーとの出会い

こんにちは。もっちーです。
皆さんは、ミニカーというものはどんなイメージですか。


たとえば、子供のころに親に買ってもらった。


子供さんに買ってあげた。


ただの玩具にすぎない、いろいろなイメージをお持ちになっているでしょう。


このブログを読んで下さる方、年代によってさまざまでしょうが、僕は幼少期は遊具、つまり玩具、小学校高学年のころからトミカのコレクションをしていました。


いま、プレミアが付いているもの持ってました、しかも箱に入れて。
しかし、引っ越ししたりするうちに高校生のころ、1970年後半、あまり大切にしていない為に、ほとんどの個体に裏板に白い錆びが出てしまい。はとんど消滅してしまいました。もったたいない、もったいない。


しかし、Nコロとダットサントラックは大人になって15,000円位で売れたので、当時180円だったトミカに、こんなにプレミアが付いたのかと驚いた次第です。私が集めていた当時から香港製トミカのセリックとギャランGTOはいつも販売ケースは空。その時期のトミカは凄いペースで新商品が出てきていたので、それを買うのに必死で空スペースを探す時間とお金が無かったころです。


自動車免許も取得し、青春時代はバブル時代。ソアラ大好き青年でした。
だから、模型やミニカーより実車。


白のハイソカー(今は死語ですね)にお金が飛んで行きました。


ふと立ち寄った、デパートのホビーコナーで1985年ごろ、ソリドを数台買いました。


まあまあ、良くできているし、ミニカーとしてのコレクショントイという雰囲気も持っており、また、はまりましたね。


西ドイツのシャバクは欲しいなと思う実車のモデルを集めて行きました。
アウディー100とかですね。
東西統一前の西ドイツには、ガマやNZGといったメーカーがありました。
建設機器車両を得意としているNZGはポルシェが良くできたモデルです。


ミニカーの絶版車を扱うお店はまれで、今みたいなネット通販もなく、専門店にも行かなくとも、新商品は東急ハンズあたりで販売しており、ちょこちょこ買い集めだしました。
まだまだ、ビテスやシャバクには味がありました。


ミニカーコレクションの大先輩、朝田隆也氏に出会ったのはそのころです。
鎌倉にミニボックスというお店にビンテージミニカーを扱っていると、カーグラフックの広告で、知りました。


早速、お電話してある程度の場所を聞いたうえ、訪ねてみると、そこは鎌倉らしい高級住宅街です。想像していたミニカーショップのお店らしき建物は一軒も見当たらず、近所の方に聞いても、わかりません。住所からして此処かなと思い、おそるおそるノックしてみると、コレクター誌やミニチュアカー誌の紙面に登場する朝田隆也氏の御自宅兼店舗、ミニボックスであったのでした。


僕が神奈川県に住んでいる時は、よくお邪魔したものです。
コレクションを始めたころのお話や大盛屋に訪問された時のお話。すぐに時間がたってしまいます。色々、教えていただき勉強になりました。
なんせ、ミニカーの僕にとってのバイブルは保育社のカラーブックス 世界のミニカー 中島登氏著作と月間ミニチュアカーしか、情報が無かったのです。


ミニボックスの朝田氏はコレクション兼販売という形でしょうか。こんなのどう?なんて言われても、当時の僕には数万円のミニカーは金銭的に無理でした。


新商品も扱っておられたので、コーギーやマッチポックス、ビテスといったものを買った覚えがあります。


ある日、朝田氏がこのメーカーの工場があっちに行っちゃったからね。味がなくなっちゃたみたいな事をつぶやいた時が…


ようするに、ブランドはドイツやイギリスでも生産国は中国に移ってしまったという意味でした。CDキャドでミニカーを作る為どれも個性が無いですね。なかにはブランドOEMもありますし。


素人的には値段据え置きで精密度もまして玩具的なミニカーから精密な一瞬モデルカーに見えるし、しかし、1960年当時のミニカーとはかなり違っていますからね。


1960年初期の日本製ミニカー
大盛屋のブルーバードとコロナ
実車はのちにBC戦争と言われたくるまです。
それでは、また。